ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

学童保育の究極の到達点

タイトルの通り、「学童保育の究極の到達点」は、保育者が何もしなくても、保育しなくてもよくなった状態ではないだろうか。 子どもたちで遊びを組み立てて、ケンカも子どもたちで解決して。 職員は食事や事務的など制度的なところ、施設の安全管理だけこな…

自閉的

今のロシア、中共の東側、そしてその対抗の西側とアメリカのやっていること、やり取りを見れば、いかに自閉的であるか。 宗教や主義、国家といったものにとらわれ、まさに自閉症スペクトラムそのもの。 他愛無く、無条件に関わり合えるのは、最下層の市民だ…

根本的に〜保育論26〜

発達障害を含む障害を持つ障がい者。 日本の昔からの風習というか、少し前ではまさかの運動会のかけっこですら侵食された「みんな一緒」。 まぁ、昔は目立たなかったが、「障がい者」という立場が、福祉のためによかれと認識された結果、ある意味目立つよう…

一点集中 〜保育論25〜

今となっては「発達障がい」は、(ほぼ)世間に認識されている。 大まかに分ければ、 ・自閉症 ・ADHD ・LD などなど… 基本的には、先天性で遺伝子に異常があったりとするものだ。 過去には、「変わった子」みたいにスルーされてきた。 それが近年、増えてきて…

どっちだ 〜保育論24〜

「今どきの子ども」で言われるのはゲーム、スマホ、いわゆるエンターテイメントとメディアだ。 それらに侵されてしまっているらしい。 テレビニュースで子どもの殺人事件が取り上げられれば、「今どきの子どもは怖い」。 果たしてそうなのか? 未成年による…

勘違いするな 〜保育論23〜

よく聞く「今どきの子」。 ませてるなどと言ったりもするが、主に批判的な意味で使われる。 何を言ってるんだと、思う。 江戸時代のような子どもの振る舞いをすれば満足するのか?と、思う。 それじゃ古い、と言うのだろう? これだけ書けば、いかに子どもを…

制度性と無法地帯〜保育論22〜

無法地帯というと、聞こえは悪くなるが、ここで言う「無法地帯」は、子どもの世界(人類にももともと制度性ができる前はそんなものはなかったが)での話だ。 制度性というのは、「善」か「悪」か、「していい」か、「してはダメ」か、あるいは「しなければなら…

個人を尊重? 〜保育論21〜

今の時代、「情報化社会」「個人主義」「プライバシー」と騒がれている。 "情報"で全てを管理して、あらゆるものを便利にしていく代償に、それらの漏洩を防ぐために、あらゆるものを閉鎖していく。 お隣さんの名前も何も知らないという事も珍しくない。 「孤…

保育(福祉)の仕事 〜保育論20〜

保育は、介護やなんかと同じく「福祉」の世界になる。 「福祉」とは、「幸せ」のことを言う。 まぁ「幸せ」なんて、人により内容も程度も違うから、何かをするとみんなが幸せというものなど無いのだが。 福祉の「仕事」というのが、実に難しい。 「福祉」と…

連携 〜保育論19〜

先日、学童保育対抗の、あるスポーツの大会があった。 私の学童保育のチームは、前年優勝しており、「連覇なるか」とテレビ局の取材まで来た。 結果は見事連覇を成し遂げてくれて、それはそれで嬉しいのだが、それは「結果」であり、わたしの中では重要では…

役割? 〜保育論18〜

よく小学校とかで「高学年は低学年のお手本に」とか、「6年生はリーダーだ」とか、「5年生は6年生を支える」とか言っている。 子どもに役割を与えることで、存在意義を持てるのだとか。 そんなことを叩き込んで、大人が「自分は教育できている」と陶酔し…

ややこしい「普通」の概念

味や見た目、いろんな感想や印象を表すときに使う「普通」。 その人その人で「普通」の概念を持っており、仮に10段階の何かがあるとする。 ある人は、3が普通。ある人は、6が普通。 このように、十人十色だ。 ただ、「普通」という言葉は、実際には「(普)広…

出会いと別れ 〜保育論17〜

出会いと別れとは、すなわち始まりと終わりだ。 朝目覚めて、朝と出会うことで1日が始まる。人と、友達と出会い、「おはよう」で始まる。 当たり前のことだが、前日に "「さよなら」と人と別れ、「おやすみ」と昨日と別れる。" という「終わり」があるから…

始まりと終わり〜保育論16〜

すべてのことには、始まりと終わりがある。 終わるために始まっている。 極論を言えば、「今」という瞬間は、今始まり、今終わっている。目に入った景色は、終わった「今」を見ている。もうそこにその「今」はない。 でもその時、「今」は始まっている。 世…

勝手に育つ〜保育論15〜

前置きしておくが、放置や、ネグレクトのような意味合いではない。 まぁ、それでも育ってしまうのも事実だが、それを肯定は決してしない。 ついこの間、子どもたちのドッジボール大会があった。 毎年夏休みに行われており、毎年私も子どもたちの練習に協力し…

そもそもの間違い〜保育論14〜

子育て支援だとか、ゆとり教育だとか、「国を挙げて」と言っているが、結局効果は見えていない。 それどころか、「脱ゆとり」の反動が今の子どもを押しつぶしかねない。 そもそも、子育て支援を受けるのにお金がかかったり、「ゆとり」と言いながら先生側が…

勘違いしてはいけない〜保育論13〜

改めて思った。 保育とは見届けることであって、遠い近い関係なく、将来を導いていく(決める)ことではない。 「非行に走らないように」なんて偉そぶっているのが保育ではない。 そりゃ、暴力を受けたり、命の危機にさらされないように守ることは必要だ。 し…

子どもは解っている〜保育論13〜

どんなに、博学な人や、偉そぶった大人が何を言おうが、人間の真理には近づけない。 人間の真理は、子どもが解っている。 結局大人は、社会の制度性や二項対立なんかに、毒されていく。

家庭は大事か〜保育論12〜

よく言われる、「親の愛情」「家庭のぬくもり」。 さて、言われているほど大事なのだろうか? 大事かそうじゃないかで言えば大事かもしれない。しかしそれに固執し過ぎてないか? はっきり言って、家庭に固執し過ぎれば、子どもからしたら、ただただ鬱陶しい…

子どもを閉じ込めるな〜保育論11〜

子ども子育ての制度の改変で、確かに子どもの育成に関するものは充実してきた。その施設の在り方について疑問がある。各々の施設が成り立つには、当然子どもの登録がいる。そして施設が増えるほど、当然子どもの確保(奪い合い)になる。子どもの人数で補助額…

ビリヤード九州オープン〜ちょっと休憩〜

去年より、ビリヤード九州オープンがハウステンボスで開催されることとなった。今年も6月に開催される。オープン戦なのでプロも参戦する。エントリーできたらチャレンジしてみようかな…

なぜ子どもの時の体験が良いのか〜保育論〜⑩

今回は、なぜ子どもの時の体験が良いのかという観点から見ていきたい。子どもの時の体験は、何かと後々役に立つ。スポーツにしろ、自然体験にしろ、ほぼ確実に活きる。まぁ、なんとなく当たり前のことなのだが、そこを深くみていきたい。まずは仕組みだろう…

ゲームは悪か〜保育論⑨〜

テレビゲームやDSなどの携帯ゲーム、そしてスマホゲームは、思考回路を狭めてしまう。例えて言うなら、犬が味が濃いものを食べると、ドッグフードを食べなくなるのと同じで、ゲーム以外の遊びの発想を無くしていく。やはり特に10歳・思春期までは、白紙のノ…

気づかせること〜保育論⑧〜

気付き、ひらめき、発見。これらは、頭と身体に大きく刻まれる。この一瞬で、出来なかったことや、わからなかったことが、あっさりと身に付いてしまう。勉強でもスポーツでも、この「そうだ!」「そうだったのか!」で、世界は一変する。これは保育ではとて…

本当に必要なモノ〜保育論⑦〜

今回は「甘え」について。まず、甘えとは?まぁ、甘えを需要とするなら、供給は愛情でしょう。そう、「甘え」は、求めてきた時に初めて「甘え」となる。欲するから求めてくる。それに対して、最善の愛情を供給することで、子どもは満たされる。なにもおもち…

「家族」という枠の柵

最近ニュースなどを見ていると、増えてきたように思う事件。家族同士の殺人事件。少年少女の殺人事件。メディアの発達の関係でというのもあるのかもしれないが、やはり増えているのだろう。身近にも予備群的なお母さんがいた。若くして子どもを産み、一生懸…

行動の意味〜保育論⑥〜

子どもが何かする時、というか行動を起こした時。大人の目から言えば、良いこと、普通のこと、悪いこと。良いことをすれば褒め、悪いことをすれば叱り、いわば二項対立。家庭での育児の時点で二項対立のしがらみに縛られていく。だが一概に親に原因とはいえ…

上手さと強さ、そして巧さ

長崎でビリヤードのちょっと大きな大会(プロは出ないのでオープン戦ではないが、九州各地から集まるから準オープンといったところか)に参加した。前日までにそこそこ仕上げられたと思ってたんだが…負け負けの予選落ち。決して勝てない試合ではなかったのだけ…

10歳の壁〜保育論⑤〜

今回は思春期よりもっと絞って、10歳の壁のピンポイントにスポットを当てて書きます。職場の学童保育でも、4年生に上がった(特に女子)子が、流動的な心に悩みながら日々、成長していっております。10歳というのはホントに特別で、急激に身体や心が変化して…

もう一歩先へ〜保育論④〜

解決する力ケンカやイジメ。ケンカは特に保育・教育の現場では日常茶飯事ですよね。先に手を出した方、多数の方が悪になりがちですね。確かにそうなのですが、悪になった側を怒って、謝らせて、はいおしまい。これが保育になるのか?と言いたい。保育者が余…