ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

2018-01-01から1年間の記事一覧

保育(福祉)の仕事 〜保育論20〜

保育は、介護やなんかと同じく「福祉」の世界になる。 「福祉」とは、「幸せ」のことを言う。 まぁ「幸せ」なんて、人により内容も程度も違うから、何かをするとみんなが幸せというものなど無いのだが。 福祉の「仕事」というのが、実に難しい。 「福祉」と…

連携 〜保育論19〜

先日、学童保育対抗の、あるスポーツの大会があった。 私の学童保育のチームは、前年優勝しており、「連覇なるか」とテレビ局の取材まで来た。 結果は見事連覇を成し遂げてくれて、それはそれで嬉しいのだが、それは「結果」であり、わたしの中では重要では…

役割? 〜保育論18〜

よく小学校とかで「高学年は低学年のお手本に」とか、「6年生はリーダーだ」とか、「5年生は6年生を支える」とか言っている。 子どもに役割を与えることで、存在意義を持てるのだとか。 そんなことを叩き込んで、大人が「自分は教育できている」と陶酔し…

ややこしい「普通」の概念

味や見た目、いろんな感想や印象を表すときに使う「普通」。 その人その人で「普通」の概念を持っており、仮に10段階の何かがあるとする。 ある人は、3が普通。ある人は、6が普通。 このように、十人十色だ。 ただ、「普通」という言葉は、実際には「(普)広…

出会いと別れ 〜保育論17〜

出会いと別れとは、すなわち始まりと終わりだ。 朝目覚めて、朝と出会うことで1日が始まる。人と、友達と出会い、「おはよう」で始まる。 当たり前のことだが、前日に "「さよなら」と人と別れ、「おやすみ」と昨日と別れる。" という「終わり」があるから…

始まりと終わり〜保育論16〜

すべてのことには、始まりと終わりがある。 終わるために始まっている。 極論を言えば、「今」という瞬間は、今始まり、今終わっている。目に入った景色は、終わった「今」を見ている。もうそこにその「今」はない。 でもその時、「今」は始まっている。 世…