先日、学童保育対抗の、あるスポーツの大会があった。
私の学童保育のチームは、前年優勝しており、「連覇なるか」とテレビ局の取材まで来た。
結果は見事連覇を成し遂げてくれて、それはそれで嬉しいのだが、それは「結果」であり、わたしの中では重要ではない(大会の趣旨がレクレーションでもある)。
今年は酷暑で、なおかつもともと体育館がクラブ活動でいっぱいで、借りにくい状況もあり、大した練習はできていない。メンバーも昨年に比べ低学年メインであった。
そんな中、成し遂げた「中身」が素晴らしかった。
それは流行りの「絆」というくだらないものではない。
「絆」というのは、それこそ「役割」を決め、それぞれが決められたことをやる、ということだ。つまり「制度性」の中で役に立つ。これは決められたこと以外はやらない(やれない)。
子どもが見せてくれたのは「連携」だ。
「連携」とは、その時その時で、それぞれがやれることをやる、ということだ。
「連携」こそ「ヒト」の真髄であるとでも言えるだろう。
弱い人間が、ここまで進化発展できたのも「連携」によるものではないか。
大げさかもしれないが、これは「人間の進化発展」を、表してくれたのではないだろうか。
そして大人が「教えて」育つのではない。共に「感動」して「共有」して「連携」しながら育っていくのだ。
大人は出しゃばらず「後は任せたよ」でいいのだ。