ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

根本的に〜保育論26〜

発達障害を含む障害を持つ障がい者

日本の昔からの風習というか、少し前ではまさかの運動会のかけっこですら侵食された「みんな一緒」。

まぁ、昔は目立たなかったが、「障がい者」という立場が、福祉のためによかれと認識された結果、ある意味目立つようになった。

名前が付いたことで増えたように思うのか、あるいは実際に増えているのかわからないが、特に発達障害が目立つようになった。

どちらの理由かはわからないが、名前が付いたことで区分分けされ、大人目線からいえば対応はしやすくなったのかもしれない。

しかし子どもからすれば、その区分けが、「異物感」を増長したように思う。

「自閉スペクトラム」の人との付き合いにくさなど、「個性」といいながら、差別を認めてしまうような危険性。

なにせ、「多動を持つ子が授業中に動き回るのを容認する」という、なんだか歪な対応がある。

周りからすれば、基本的にみんなに授業態度を指摘するくせに、意味がわからなくなる。

障がい者」を「個性」として捉えようとする気持ちが先走り、「個性」と捉えるルーティンを飛ばしてしまっているように思う。

「なぜ違うのか」の保育教育をさせずして、大人が大人の視点で「受け入れよう」なんてするから、子どものモヤモヤは昔よりあるのでは?と危惧してしまう今日この頃。

言わば「人種の違い」の教育より根本的なものが抜けてはいないかと思う。