ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

思春期〜保育論①〜

いよいよ真面目に書いてみます。
思春期
主に概ね10歳を越えた辺りからこの「思春期」に突入します。
自分を含めた人間の色んなモノが見えてしまう、楽しくもあり歯がゆくもある時期です。
反抗期とも言う時期ですね。
では、何故反抗するのか。
世間一般には、親離れの契機だとか言われています。

  • 心理
果たしてそんな単純に一言で済ませられる時期なのでしょうか。
私が思うに、この時期の子は、「見えなかった事」「見たくない事」「思ってたことと違う事」「教えられてきた世界と違う事」…
要は、世の矛盾が感覚的に丸見えになってしまう状態です。
なおかつ、異性が無性に気になってしまったり、身体もいろいろ変化があったりします。
女の子なんか生理という、痛みがあり、イライラし、しかもそれがランダムに訪れるという体験もします。
そんな状態で身近な存在は鬱陶しくなるのは当然です。
親離れのために親に反抗するなんて単純な契機ではないのです。

  • 経過
新しい目で、いろんな真実らしきものを見て、なんとなく考察して、真実に近付いたと思ったらまた突き放されて。
このフラストレーションのはけ口が、たまたま身近な親に行きやすいだけです。
このルーティンに慣れちゃう事が大人になることだと思います。
実際、人間の問題はここからです。
この「真実らしきもの」にたどり着いた時、そこで満足して(あるいは勘違いして)しまうか、さらなる真実に向かうか、大人の、成長が試されるポイントでもあります。
このポイントでその後の人生が決まると言っても良いかと思います。

  • 保育
保育者は、ここのポイントにしっかりたどり着かせ、旅立たせることに責任が、あると思います。
中身の問題ではないのです。
グレようが、どうしよが、このポイントにたどり着ければ、実は本人がどうにでもできるのです。
子どものゴールであり、大人の、スタートです。
保育者は、その時その時の、子どものwants(欲するもの)に応えてやればいいのです。needs(必要なもの)なんて本人にしかわからない。周りが決めるものしゃない。

保育、単純だけと奥が深い。
対立する二項が共存する不思議な仕事です。