ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

なぜ子どもの時の体験が良いのか〜保育論〜⑩

今回は、なぜ子どもの時の体験が良いのかという観点から見ていきたい。
子どもの時の体験は、何かと後々役に立つ。スポーツにしろ、自然体験にしろ、ほぼ確実に活きる。
まぁ、なんとなく当たり前のことなのだが、そこを深くみていきたい。
まずは仕組みだろう。
大人の場合、何かする時に、理由を付けたがる。そしてやる前に仕分けしてしまう。良いか悪いかで、やる前から結論を出してしまう。
そして、する機会があっても、ほぼ何も身に付かずに終わる。
子どもはどうだろう。
理由なんていらない。本人が気づかないうちに、既に根拠を解っている。
やる事自体に感受性を働かせ、その時その時に何かを学んでしまっている。
インプットの違いとでもいうか。

気づいてないが、意思はある。興味がある。だからいつの間にか学んでしまう。
いや、まさにこれが学ぶということだ。

その観点で言うと、最近テレビに出る「東大◯◯学部に子どもを全員受からせた」とか紹介されるおばちゃん、何を自惚れてるのだろうと思う。
別にやり方を否定しないし、文句があるワケではないけど、やり遂げたのは子どもだろと言いたい。
どうしようもない親だから、子どもが学べたのかもしれない。あのおばちゃんの話的には、勉強以外を学べてないのかもしれないが。
お手伝いとかしなくても、家事はのちのち出来るようになればいいと言っているが、家事のための家事の手伝いではないのだ。
子どもを育てるというのは、育成であり、作成ではない。
自分を持たない子どもの親ほど、自分主張が強い。
どうしてこうも、子どもの貴重な体験を操作したがるのだろう。

それほどまでに、子どもの時の体験は重要なのだ。
子どもが主役で学べる環境をもっと作ってほしい。