ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

本当に必要なモノ〜保育論⑦〜

今回は「甘え」について。

まず、甘えとは?
まぁ、甘えを需要とするなら、供給は愛情でしょう。
そう、「甘え」は、求めてきた時に初めて「甘え」となる。欲するから求めてくる。
それに対して、最善の愛情を供給することで、子どもは満たされる。
なにもおもちゃを欲することが甘えでないし、それを買ってやることが愛情ではない。
いわゆる甘やかし。
ここを履き違えている親は結構いる。
単純に解っていない親もいるし、多忙な時代にそうせざるを得ない親もいる。
当然この結果、子どもは「ワガママ言えば、駄々こねれば、やりたい事ができる、欲しい物がもらえる」脳になる。
そう。イマドキの子が出来上がる。

足りない物が簡単に手に入れば、考えることをしなくて済む。
手に入らない環境に置かれれば、考えることができず、遊べなくなる。さらに、不満をグチり、負のスパイラルとなる。
親が良かれとモノを与え過ぎることで、考える脳を閉ざしていくことになる。

幼少期の「甘え」には、これほどのことが詰まっている。
安易に、親が考えずにいると、考えない子どもを育ててしまう。

忙しさを言い訳にしてきた大人達は、「イマドキ」というレッテルを付けて子どもに責任転換している。
今一度、大人達は振り返り、省みてもいいのではないか?