ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

そもそもの間違い〜保育論14〜

子育て支援だとか、ゆとり教育だとか、「国を挙げて」と言っているが、結局効果は見えていない。

それどころか、「脱ゆとり」の反動が今の子どもを押しつぶしかねない。

そもそも、子育て支援を受けるのにお金がかかったり、「ゆとり」と言いながら先生側がテンパってしまっている。元も子もない。

本来「ゆとり」とは、空間的、思考的に余白があることであるはずだ。

それで初めて、創造的な教育や、創造的な成長へと繋がるはずだ。

土曜日を休みにして「ゆとり」だなんて、大人の一方的な逃避でしかない。匙を投げたも同然だ。土曜日は子どもに関わりません、ご家庭でどうぞ。と言ってるようなものだ。

学活や学校行事等で人と関わりあう時間を増やすことこそ心の「ゆとり」が持てていくと思うのだが。

ゆとり=自由時間みたいな安直でバカな思考しかしない政治家が子育てを語らないでほしい。

子どもも被害者だし、教師もある意味被害者かもしれない。