ビリヤードと保育の日々

保育しながらの気づきや、ビリヤードのことを綴ってます。

役割? 〜保育論18〜

よく小学校とかで「高学年は低学年のお手本に」とか、「6年生はリーダーだ」とか、「5年生は6年生を支える」とか言っている。

子どもに役割を与えることで、存在意義を持てるのだとか。

そんなことを叩き込んで、大人が「自分は教育できている」と陶酔してるだけではないのか。

だいたいリーダーなんてものは、ヒトの集団には合わない。

支え合ってこその人間なのだ。大震災などでの被災者や国民の動向を見ていればわかることではないか。

役割を持たせて、子どもの視点を自身に向けさせ、周囲に警戒させ、自閉的にさせてしまっているのは他でもない学校などの教育機関なのだ。

苦手なところをフォローし合って、支え合ってこそのヒトの集団なのだ。

強くもない人間が、ここまで星を埋め尽くすほどに繁栄して生きているのは、それがあっての結果なのだ。

周りと連携し合い、感動し合い、共有し合い、支え合ってこそ、無限の成長に、心の成長に繋がるということに、大人は気づく必要がある。