味や見た目、いろんな感想や印象を表すときに使う「普通」。
その人その人で「普通」の概念を持っており、仮に10段階の何かがあるとする。
ある人は、3が普通。ある人は、6が普通。
このように、十人十色だ。
ただ、「普通」という言葉は、実際には「(普)広く(通)通じる」という意味がある。
つまり、客観的にいう「普通」は、それでいいのだが、主観的な「普通」は、どちらかというと、「ノーマル=自分が思う中くらい」というニュアンスになる。
誰だって他人に「普通は…」とか言われて、イラッとしたり腑に落ちなかったりしたこともあるだろう。
保育福祉の世界で、「みんな一緒」という考え方にカウンターが来てるのは、「ノーマル」を全体に押し付けた形が原因であるのだろう。